「物理学には人間の認識というレベルで限界がある。」
これは量子力学の成立以来、かなり認められてきたものだと思います。
しかし、数学にもある意味、これと同種の限界があることをこのごろある本で知りました。
その発見者はクルト・ゲーデル。定理の名前は不完全性定理です。
純粋な思考の産物である数学に、そのような限界が存在するということはなかなか受け入れられません。
しかし、不完全性定理は簡単に言うと二つのことを結論付けています。
・数学には証明することもできず、反証することもできない命題が存在する。
・数学は数学自身が矛盾を含んでいることを証明できない。
2つ目は「無矛盾な体系を作ることができない」ということもいっています。これだけでも驚きですが、一番驚きなのはなんといっても1つ目の定理で、少しいじると「真理であるのに証明できない命題が存在すること」を意味します。
これらについては最近知ったのですが、あまりの驚きに声も出ませんでした。
論理的な「命題」の「真理」は、数学的に証明されてこそ真理だと認められるものだと思っていたのに、数学という学問体系では示しえないものがあるということを認めなくてはならない。
ゲーデルはすさまじいことをいっているのだと思います。
これは量子力学の成立以来、かなり認められてきたものだと思います。
しかし、数学にもある意味、これと同種の限界があることをこのごろある本で知りました。
その発見者はクルト・ゲーデル。定理の名前は不完全性定理です。
純粋な思考の産物である数学に、そのような限界が存在するということはなかなか受け入れられません。
しかし、不完全性定理は簡単に言うと二つのことを結論付けています。
・数学には証明することもできず、反証することもできない命題が存在する。
・数学は数学自身が矛盾を含んでいることを証明できない。
2つ目は「無矛盾な体系を作ることができない」ということもいっています。これだけでも驚きですが、一番驚きなのはなんといっても1つ目の定理で、少しいじると「真理であるのに証明できない命題が存在すること」を意味します。
これらについては最近知ったのですが、あまりの驚きに声も出ませんでした。
論理的な「命題」の「真理」は、数学的に証明されてこそ真理だと認められるものだと思っていたのに、数学という学問体系では示しえないものがあるということを認めなくてはならない。
ゲーデルはすさまじいことをいっているのだと思います。
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